エストニアの文化、食を満喫するツアー8日間 Vol.1

これを書いている今、すでに9月を過ぎ、10月に突入というところ。まだまだ書いていない記事ばかりあり、焦っている今日この頃です。でも少しずつ進めていきますのでご容赦ください。

拙著とアアヴィックヌルガB&B

さて2023年に何が起こったかというと、拙著『バルト三国のキッチンから』が6月に産業編集センターさんから出版されることになったということです。様々なイベントが開催されることになりましたが、書籍との連動性が高かったイベントは、実際に現地に行くというツアーでした。
書籍制作中の年明けごろからこの企画はフィンツアーさんと始まりました。訪問場所、料理を食べる場所、出会う人、宿泊地など、様々な課題をクリアにしながら主催のフィンツアーさん、そして現地のサポート会社の方々関わる全ての皆さんの協力により企画が実現したコースでした。

ツアーの内容をご覧になって「なんで、こんな辺鄙な街に?」と思った方もいたかと思います。多くのツアーは首都タリンで数時間滞在ののち、フィンランドに戻ります。数泊してもやはり首都タリンに滞在するツアーがほとんどです。タリンも素晴らしい中世の街並みが残る場所。それは誰もが認めることであります。多くのエストニア人が「タリンはヨーロッパの街だからね、本当のエストニアを見るにはタリンより奥だよ。」とアドバイスをくれます。では、具体的に何がエストニアたるものなのか。
首都のタリンにはエストニア国内の人口の約40%が住んでいます。それ以外は他の場所に住んでいることになります。エストニアの山は最高峰が318mで、それ以外はほぼ平地です。畑もありますが、それと共に多いのは森林と湿地。森林は国土の全体の51%にもなります。ということは、森を見ずしてエストニアに来たとは言えないのです。

ツアーのお話をいただいたときに「誰もができない旅、私が魅せられるエストニアを見たいしお見せしたい」コースを作ろうと決めました。いわばエストニアのBest of bestです。

と、前振りが長くなってしまいましたがツアーの内容はこちらをご覧ください。

このツアーの素晴らしいところは、個人旅行でも、他の団体旅行でもできないツアーを作ったということです。個人旅行ではこのコースで行くと必ずレンタカーが必要になります。仮に公共交通機関を使うと、これ以上の日数を要することになります。タクシーですと余計に費用がかさみます。また、日本語ガイド兼通訳が同行しているので、母国語で全ての説明を得ることができるのはこのツアーならではです。また、大きな団体旅行ですと、宿は大人数が収容できる場所ではないと滞在できない。このツアーでは小規模のエストニアを感じられる宿に泊まることも目的の一つでした。どのレストラン、宿がよいという選定も、経験者がいるからこそ間違いない旅ができる保証があります。

初めてエストニアに足を運ぶ方にも満足いただけるように、タリンは最後に滞在することにし、「あんなものやこんなものを買えばよかった」というものが大体タリンで見つかるわけです。

まずはフィンエアーでツアー御一行は東京羽田からフィンランドのヘルシンキまで一気に北上し、今は北極圏上空を通ってくるので北極圏通過記念カードをいただいた方もいたのではないでしょうか?早朝のヘルシンキのヴァンター空港でEU入国手続きを終え、次は最終目的地であるエストニアのタリン行きの飛行機に乗り換えます。飛行時間はなんと30分。座って飛んだと思ったらすぐに着陸なのですが、フィンランドから向かう飛行機の下に見える景色はバルト海に浮かぶフィンランドの島々とエストニア本土と島々です。
しばらく見つめているともうすぐ、エストニアの首都タリンが見えてきます。タリンの空港はタリン中心部から非常に近いので、旧市街の教会や写真で見た世界遺産の建物が上空から見えます。

タリンに降り立った日本から参加されたと私はタリンのバスターミナルで待ち合わせすることになりました。
エストニアでの第一日目がいよいよ始まりました。バスをチャーターし、女性運転手のアイキさんとガイドのエリさん、そして添乗員の星さんが迎えてくれました。私も含めスタッフ全員女性というのが新鮮でした。

ハープサル

ハープサル城

バスはそのままタリンを過ぎ、エストニアの西の街ハープサルへと到着。
街の中心に大きな城跡があり、ハープサル城の内部見学をしました。ほとんど外見は壊されてしまっていましたが、内部の城の様子は見どころも多く、エストニアの「城」を見る我々は興味津々でした。
ハープサルはチャイコフスキーが療養として過ごした街としても知られているスパ施設などが多い街です。
私がなぜこの街をコースに選んだか。
この街はエストニア人にとっても美しい街並みで有名なのですが、ビーガン料理を出すお気に入りのレストランがあるからです。
有機にこだわった食材を使い、身体に優しく、穏やかになるれる料理を我々が考えるビーガン食よりももっと柔軟な発想で作られています。今回もそんな料理と出会えると考え、我々のためにランチを作っていただくことにしました。

ビュッフェスタイルのビーガンランチ

東京から、フィンランドを経由しエストニアに入国した後、バスでようやく着いたみなさんの胃袋にも優しくビーガン料理が入って行ったと伺いホッとしました。特にみなさんに好評だったのは、キノコのカツレツでした。まるでお肉かもしれないと思うようなきのこに馴染んでいる味に驚いていました。
当地でしか飲めないビールやKali(カリ)というライ麦炭酸飲料を堪能しました。

ムフ島
ハープサルからさらに南西に移動し、島嶼部を目指します。まもなくするとエストニアの島の旅は決して特別ではないことがわかります。バスのままフェリーに乗りそのままフェリーからバスで島に到着してしまうのです。さらにバルト海は天候の荒々しい時以外は波はそれほど激しくないので、いつの間にか出港していたということがほとんどです。本土からおよそ30分バルト海を西にムフ島という島に到着し、そのままリーバという小さな島の中心に向かいました。リーバには島の店が集結いている場所。そこではほんの少しの時間でしたが、ムフ島発祥のライ麦パンの店を見たり、手芸店に立ち寄ったり、アイスクリームを食べたりとしました。
ライ麦パンは試食してもらおうと買う気満々で行ったのですが、あいにく焼き上がりの時間に合わず、みなさんに食べてもらうことができませんでした。

サーレマー島
ムフ島から次の島へ渡るのですが、サーレマー島はエストニアで最大の島です。この島へは、ムフ島から細い土手でつながっています。それゆえ、この2つの島への行き来は非常に便利です。
最大の島では、ムフ島に近い場所にライミャラという集落があり、そこではNÖÖDAという農家を営むライミャラ料理を研究しているマレさんのライミャラ料理を試食しました。ライミャラ料理は島で採れた魚を中心に古くからその土地で作られている料理です。

マレさんの作る料理

マレさんにはライミャラの美しい花々が描かれたバス停で地域の説明を教えてもらい、その後、マレさんの家の庭を散策し、料理に舌鼓を打ちました。「試食」というレベルの量ではなく、たくさんテーブルに出てきました。島の人々は気前が良いんですよね。
ここでは、参加者の皆様が1キロの地元で採れたハチミツが破格の値段でした。また、マレさんのライミャラ料理の著書も多くのみなさんが購入されていました。

エストニアで最も美しい家に選ばれたこともある、マレさんの家

その日の宿泊はライミャラからほど近いアアヴィックヌルガB&Bでした。ここは、エストニア語を体系作ったアアヴィックヌルガが育ち暮らした場所です。夕飯はウライナ人のシェフが作ったほんばウクライナ料理とエストニア料理のビュッフェスタイル。小麦粉アレルギー対応もされ、体質に不安がある方も常にケアされていて、全員が同じように食事を楽しむことができました。(このツアーでは全ての食事に小麦粉アレルギー対応がありました)
築100年以上のエストニアの農家をリノベートした棟と新しい棟がありました。夜中に外に出ると周りに何もないので星が近く、ひんやりした空気がおいしかったです。朝食も夕食同様好きなものを好きなだけ食べられるビュッフェスタイル。オーナーのウッレさんの手作り料理は島とエストニアを感じられる料理でした。初日のエストニア滞在としてはふさわしい宿でありました。

サーレマー島の2日目は、朝一番にカーリクレーターに向かいました。このクレーターはエストニアでも最大の大きさで直径110メートルの綺麗な丸い池があります。
クレーターの周りにできた道を一回りする方や、クレーターの底にできた池のそばまで降りて行ってみる方もいました。宇宙の力強さや地球の偉大さを感じたのは私だけではなかったと思います。

カーリクレーターの池の部分

その後はサーレマー島の最大の街クレッサーレに向かい、城跡を見学。この城は函館の五稜郭と同じように5角形の堀で囲われています。五稜郭を見学した時に聞いたのは、5角形にすることで兵が角に立っても相互に陣地を守ることができるそうです。なるほどクレッサーレ城を設計した人も五稜郭を設計した人と同じ知識に則って作ったんだと古の人々を想像したのでした。

クレッサーレ城から見たバルト海

クレッサーレの街は自由行動にして、それぞれ興味が赴くまま街を散策しました。お土産ショップやチョコレート店、広場などに出向いていた様子でした。
私といえば、スーパーをはしごしていました。どこも同じだろうと思いきや、島のスーパーはまた売っているものが島の特産物が多かったり、地元で作られたお菓子やパンも販売されているのでまた楽しいのです。
クレッサーレでの自由時間が終わり次はランチへ。ランチもサーレマー島西部の伝統料理を味わいに行きます。

この料理以降はまた次のVol.2にて! しばしお待ちください。


この旅に連動している書籍「バルト三国のキッチンから」(産業編集センター)は全国の書店、以下URLから購入できます。