寿司レストランのち、最高の生活

今回のインタビューは、エストニアのタリンに住んでいるMaria Liljeさん(以下マリーヤさん)です。

マリーヤさん近影(Valdek Laur撮影)

マリーヤさんとの出会いは、2022年7月末に行われたヴィリヤンディフォークミュージックフェスです。もちろん音楽のフェスですが、同時に注目は会場に設けられているフードコーナーです。外のテントにさまざまな食べ物を販売しています。食べ物の販売のコーナーは無料で入れるため、たとえフェスに興味がなくても食べることが可能です。
そのコーナーでなんと「SUSHI」があるではないですか! 筆者が足を向けると、日本語を話すエストニア人オーナーがいたのです!
かなり人気のようで、次から次へと寿司を待つ人々が待っていました。そんな中、忙しいところなのに日本語で「日本に1年留学してたんですよー」とお話ししてくれるオーナーのマリーヤさん。その人物像に興味津々ではありましたが、邪魔をしないようにテントから早めに離れました。そして今回のインタビューをお引き受けくださったのです。

エストニア独立運動がきっかけで見つけた「日本
約30年前にエストニアが独立を要求する運動をしていたころ、マリーヤさんは10歳。ソ連軍が戦車を率いて、エストニアの独立運動を阻止するという光景を目の当たりにし、命の危険があると恐れおののいた家族は、フィンランドに避難することに決めました。フィンランドに渡ってから日本に興味を持ったきっかけがありました。
マリーヤさんのお母様の友人であるフィンランド人の方が、現地に住む日本人のピアニストの方から教えてもらった日本語を伝え聞いたことです。「おやすみなさい」を、なぜか「やすみなさい」と教えてもらい、面白い言葉だなと幼いながらも、どこかの記憶に刻まれていました。

10歳ごろのマリーヤさん(Hymy Rantanen撮影)

ドイツでアジア料理を自炊
時は経ち、エストニアが無事再独立を果たし、タリン大学に進学したマリーヤさんは、フィンランドで日本語に触れたことを思い出し、大学2年生で日本文化を専攻することにしました。当時、エストニアの大学生はフランス語、英語、ドイツ語などが選択肢の主でした。しかし、エストニアの日常と全く違うと思われる面白い日本社会や文化に興味があったと語ります。マリーヤさんにとって面白さというのは、エストニアは自分だけのことを考えて行動する人が多いのに対し、日本はグループの幸せを考えて行動する人が多くいるということ。そして、エストニア人は直接的な表現が多いですが、マリーヤさんたちエストニア人にとって、日本人は理解しにくい表現をすることでした。
この話を伺った時に、フォークフェスティバルでお話を伺った時に多忙でも、感じよく接してくださったマリーヤさんの物腰がどこか日本的な優しさを感じたことを思い出しました。
マリーヤさんは大学4年時に、ついに念願であった日本の学習院大学への留学が叶いました。1年の日本留学後は次に向かったのはドイツのベルリンでした。しかしながら、学生だったマリーヤさんは物価が高かったため、好きだったアジア料理店ではほとんど外食ができませんでした。そのためドイツでは毎日自炊し、想い出のアジア料理を楽しむことしました。

寿司レストランからの転身
大学を卒業したマリーヤさんは、タリンの料理学校に2年間行き、料理について学びました。
その後、タリンで寿司レストランを開業し、10年間順調な経営だったのです。しかし、コロナの前に体力的な理由から、寿司レストラン事業を辞める決断をしました。やはり、女性で寿司屋をずっと経営するには重労働だったのです。
その後すぐにコロナ禍に突入するのですが、学校で投資や金融市場について知識を深めるため、リモート講座を受けることにしました。


完璧な生活
マリーヤさんは友人の紹介もあり、アメリカ企業の財務の仕事をリモートワークで請負う傍ら、趣味で寿司と和食のケータリング&ワークショップの「SUSHIMON」の活動を始めました。活動の一環で、ヴィリヤンディフォークフェスティバルに出店をしていたのです。
リモート勤務で経済的な安定を得、時間と場所を自由にすることができる。そして、好きな時に寿司事業も継続できる生活。そして、年に半分はエストニアから出て、海外で過ごすという生活をしています。この秋は、アルゼンチンのAirbnbを予約し、長期滞在に向けて準備中です。そんな生活を「最高に完璧な生活なのよ!」と輝く笑顔を見せてくれたマリーヤさん。自分自身の年齢、体力や社会情勢を鑑みて臨機応変に対応し、実現する彼女を見習いたいと思いました。

日本のリアルを「食」で感じてほしい
現在趣味であるSUSHIMONはエストニアの企業、日本企業の現地法人からオーダーされ、チームビルディングやクリスマスパーティー、イベントでサービスを提供しています。
寿司といえば、エストニアでは いわゆるカリフォルニア巻きのような、サーモンやクリームチーズを巻いた「太巻き」のことを意味し、さらにはそれを天ぷらにした太巻きも人気です。しかし、マリーヤさんは本当の日本の寿司を体験してもらうために、握りや軍艦、細巻きも作ります。エストニア人に人気があるものだけを提供することよりも、日本の文化を知るマリーヤさんならではの特別なサービスを提供しています。
エストニア人が食べている「寿司」と日本のリアルな寿司の違いを知ってもらいたいと考えます。例えば、味噌汁に乾燥したわかめを入れ、お湯を注ぐと味噌汁になるように用意すると、わかめが水を含んで、大きくなります。日本人が普通に理解していることも、エストニア人は知らずに大量にわかめを入れ、わかめだらけになりびっくりします。また、マリーヤさんのお父様はわさびをグリンピースと間違え、グリンピースと思って食べて顔を真っ赤にしたというエピソードもありました。
これらの異文化体験を楽しんでもらいたいと日本に住んだ経験がある故に、マリーヤさんは考えます。
ワークショップでは参加者と一緒に、寿司や餃子を作ります。南エストニアでは、ロール寿司を食べるレストランもありませんので、寿司がどんなものであるかを知りたく、自宅で作りたいという人々が参加することが多いです。

マリーヤさんのおすすめスーパー
新鮮な魚、野菜を購入できるのは、PROMOというタリンの中心から車で10分以内で着く会員制のショッピングセンターです。ここでは、エストニアでは 見つけるのが難しい新鮮な魚、水槽に入ったカニ、野菜など購入することもできます。夏はもちろんマーケットで新鮮な野菜を購入することがベストですが、それ以外の季節では野菜もPROMOは買い物の場所としておすすめです。

冬にエストニアを訪れる人に薦めたいこと
エストニアの冬におすすめなのは、温かいスープ。寒いからこそ、温かいスープがさらにおいしくなります。
2月ごろには-20度にも達するエストニアで、何も魅力はないのではないかとエストニア人は思うのです。しかし、マリーヤさんのイギリスから2月に訪問した友人が最も楽しんだのは、エストニアの第三の都市パルヌの海が凍結した上を歩いたことです。他の国では実現できないことは、たとえ極寒でも楽しいことです。

凍ったバルト海を歩く(Vinesh Maguire Rajpaul撮影)

マリーヤさんの姓のLiljeという名前は、その昔スウェーデンの領土でもあったエストニアの影響のためか、スウェーデンから来たと言われてします。花の名前であるユリからではないかと言われています。ユリの花言葉は「純粋」。好きなことと自分の健康の両立を取りひたむきに自分の人生を考えて生きてゆく、透き通ったマリーヤさんの笑顔が美しく輝いていました。