今回のインタビューはご夫婦でラトビア国立オペラ・バレエ劇場で活躍されていたお二人のお話です。Arturs Sokolovsさん(アルトゥール・ソコロフさん、以下ソコロフさん)と三宅佑佳さん(以下佑佳さん)のお二人は、愛知県豊田市でバレエ教室を営んでいます。
ソコロフさんのバレエへの道
ソコロフさんは、幼い頃からリズム感がよく、試験を受けて合格し10歳からバレエ学校に入学しに通い始めました。バレエ学校には8年間通いました。
午前は普通の学校の授業に出席し、午後2時からバレエ学校へ行き、公演がなければ午後4時から5時までレッスンをし、午後6時以降に帰宅して学校の宿題をするという生活を続け、まさにバレエ三昧でした。
その後、リガのラトビア国立オペラ・バレエ劇場でバレエダンサーとして19シーズン(19年間)続けて踊りました。
バレエダンサーの日常
演目はバレエダンサーは自ら決定せず、上の人がそれぞれのダンサーの経験や体力などを判断し、指名します。
ソコロフさんが19シーズン過ごしたバレエダンサーとしての日常は以下です。
起床後朝シャワーを浴び、朝ごはんを食べたら、劇場に向かい1時間ウォームアップののち、リハーサルが始まります。慣れた演目の場合は午後4時から5時まで行い、その後は自由時間となります。新しい演目を行う場合は午後7時から午後10時まで練習とリハーサルを行うこともあります。もし公演がその日にある場合は、午後2時までリハーサルをして、一度休憩のために帰宅し再度午後5時ごろに劇場に行きます。化粧や衣装の準備完了後、午後7時に公演が始まり、公演が終わるのは午後10時過ぎ。帰るのは午後11時ごろになります。
ダンサーの食事
ソコロフさんの場合の食事のスケジュールです。
朝食はきっちりいただきます。その日に公演がない場合は全てのリハーサルが終わった午後5時から6時ごろもう一度食べます。公演がある日は朝ご飯のあとは、午後2時ごろランチをいただき、公演が終わった後にもう一度食べます。公演が終わるのは前述の通り、午後10時過ぎですが公演の日はアドレナリンが出ているため、食欲が抑えられ、食べずにそのまま寝る場合や、夜中にファーストフードか、ピザを食べに行くこともありますがその都度違います。
ラトビアにはコンビニがないので、夜中に食べたい時にはファーストフードかピザの二択になります。もしもコンビニがあればもっとレパートリーに富んでいたかもしれません。
佑佳さんとバレエの出会い
一方、佑佳さんはいとこが先にバレエを始めており、ものごころつく前の3歳の佑佳さんにお母さんが「習いたい?」と聴いたため、「やってみたい」と答えたのがきっかけでバレエを習うことになりました。近所の文化教室で週1回教わり、その教室はチュチュやトゥシューズが身につけて踊れない場所だったので、佑佳さんは履くことができる教室に変わりました。
6歳でもっとバレエを熱心に続けたいと、バレエを専門に教えている教室に移りました。この教室は非常にバレエに対して熱心な教室で、佑佳さんが中学生になった頃からはロシアから先生を招聘して教えていただく機会を得ました。バレエ教室の先生の夢が、バレエ学校を作ることでしたので、先生は生徒が通信制の高校に行きながら、毎日バレエができる学校を設立されました。
佑佳さんは一年間は普通の高校に通学しましたが、結局は通信制の高校に転校し、先生が設立したバレエ学校に入学し本格的に学ぶことに決めました。平日は朝から晩までバレエの練習で、余った時間ば高校の課題のプリントをこなし、土日は高校の授業に出席するという生活を続けました。徐々にできるようになると、ステージの中心で踊らせてもらったり、ロシア人の先生からバレエ留学を勧めてもらい、自分が認めてもらえるようになっていくのが、バレエを続けていく原動力でした。勉学にも励み、通信制の高校も3年で卒業しました。
ラトビアへの道のり
憧れていたロシアのサンクトペテルブルクのワガノワバレエアカデミーに、オーディションに合格し留学しました。日本に帰国後、通っていた日本のバレエ学校併設のバレエ団に入って国内外で踊っていましたが、やはり「海外のバレエ団」に所属してみたいという思いが募り、ずっとそのチャンスを狙っていました。
ラトビアのフェスティバルにも行き、踊りました。一緒にラトビアに行った日本の先生が、今度は日本でも公演をするためにラトビアのダンサーであるソコロフさんの先輩を日本公演に招聘しました。その先輩が佑佳さんが海外のバレエ団に所属したいと希望していることを、「所属しているバレエ団のディレクターに聴いてみるよ」と掛け合ってくれ、3ヶ月の研修生としてラトビアに行くことになりました。佑佳さんのバレエのレベルや能力を見て、研修期間が終わったあとは本契約をすることになり、2007年正式にラトビア国立オペラ・バレエ劇場の一員となり、世界中の公演に訪れました。
ラトビア大統領からの表彰
2021年にラトビアの大統領から、ソコロフさんは国に貢献したダンサーとして三ツ星勲章をいただきました。ソコロフさんご本人はいただくことになった経緯はわからないのですが、とても嬉しく思いました。この勲章授与に甘んじることなく、これからも努力したいと思っています。
2人の出会い
先輩の車が故障したということで、先輩を車に乗せ、リガの空港に迎えに来てくれたのはソコロフさんでした。周囲に友人も家族も誰もいない。外国人もいないという状況だったため、ソコロフさんは佑佳さんに買い物や出かける場所などのアドバイスをくれるなど親切にサポートすることが多くなりました。そして、バレエという共通の興味もあり、自然と一緒にいるのが当たり前という状況でした。その後はラトビア国内を一緒に旅をするなど二人の絆は深まり、お互いを高め合う伴侶となったのです。
日本移住を決めるまで
佑佳さんは、ラトビアに2007年から21年までバレエダンサーとして暮らしたのですが、実はこんなに長く住む予定はなかったのです。ダンサーとして成功しなければ、すぐに日本に帰国しようと思っていました。階級制度がきっちりしているバレエの世界で、ソリスト(主役として踊ることができるダンサー)となることができました。どんどん欲が出て、次のシーズンも、次のシーズンもというかたちで続けていき、予定よりも長くラトビアに暮らしていたのです。
佑佳さんは毎年年齢が高くなって一番踊りたいものを踊ったという達成感を感じたので日本に戻ろうと決めました。ソコロフさんも長い間「日本に行って、新しいことに挑戦をしたい」と考えていたのと、年齢的にもできるだけ若いうちに様々な経験をしたいとも思いました。
もう一つは小学2年生になる子供のことです。できるだけ、若い年齢で日本の教育を受けてほしいと思ったのも移住の理由でした。
2020年はコロナのため、ほとんど家にいました。ダンサーにとっては、練習の時間がないと非常に辛いのです。特に年齢が上がると、1ヶ月練習しないで過ごすと元の身体に戻るのは2ヶ月練習しないといけません。そういう意味でももう、日本に行く気持ちになる動機にもなりました。2021年6月までソコロフさんと佑佳さんはラトビアのバレエ団で活躍し、一家で2021年8月に日本へ来ました。
スタジオ開設
2人がこれまで経験したことをこれからの世代の人々や、スタジオにきてくれる人々に伝えたいと考え、2021年11月に愛知県豊田市でバレエスタジオを開きました。名称は「三宅佑佳バレエスタジオ」です。3歳以上、年齢制限はない各世代で楽しめるバレエスタジオです。
バレエを行う効果
自分の身体の限界を理解し、運動によって体重の調整ができるようになります。バレエをすることによって、どこの筋肉を使うか、どんな筋を伸ばすかなど勉強できます。そういった経験ができることからも、他のスポーツ選手も実はバレエをしている人はいます。
また、バレエは音楽とともにあるものです。バーレッスンの時には、クラシックを聴きながら、カウントをとって身体を動かしていくので、テンポの取り方、音に敏感になるセンスが大事です。音楽に触れることは人生をより豊かにすることができます。
社会人の方で幼かった頃に憧れたバレエを始める方もいます。バレエ教室に通い、好きな衣装を身につけて自分のお金で趣味として楽しんでいる人もいます。姿勢がよくなるという身体的にも良い効果が出ます。どんな年齢から始めても遅いことはありません。
ソコロフさんの目標
現在のスタジオでは限界があるので、バレエの教室を作り、希望通りの教室を作っていきたいと思います。
そして踊りたい演目もあるので、バレエを引き続き踊りたいと思っています。仕事を通じて、より良い世の中にすることです。また、日本語を勉強して話せるようになりたいと思っています。
佑佳さんの目標
これまでは、佑佳さん自身の中心の夢や目標だったのですが、今はスタジオを持っていて、生徒もいるので、生徒たちの成長の夢の手伝いをしたいと思っています。生徒たちが成長して、できればラトビアにみんなを連れて行きたいと思います。
ラトビアに行って楽しんでほしいこと
宮殿や城はおすすめです。ラトビアのバルト海を見てほしいです。現地にいるガイドさんを探して、田舎に連れて行ってもらうのも良いと思います。また、ラトビアは山がなく、緑がたくさんあり、自然が豊かな場所で、車で国境を越えるという経験も日本人にとっては新しい経験になると思います。MaximaやRimiといったラトビアにあるスーパーでお買い物をすることも、面白いと思います。