現在72歳になる芸術に多くのエネルギーを費やしているViktor Busiginさん(以下ブシギンさん)に今回はお話を伺いました。
嘘をつけないパントマイム
子供の頃から体操はじめスポーツが好きだったというブシギンさんですが、1969年劇場を設立し、パントマイムを演じることとなりました。20年ほどパントマイム劇団として演じていました。
人間の感情のほとんどの部分は氷河のように表面出ている部分は僅かで、海の下にある巨大な氷は本質であるととらえました。表面に出ているのは「言葉」ですが、海面下にあって見えない部分は人間の本音は「身体」です。ブシギンさんは言葉を発さず、身体だけで表現するパントマイムに魅せられました。もちろん、身体を使うものでダンスもありますが、ダンスよりもパントマイムの方がもっと深い表現ができると感じました。
パントマイムは演目を自由に決めることができます。自由ということが、とても重要です。自由な気持ちでチームみんなで新しい作品を作る過程が楽しく、幸せになります。その感じた幸せを演じ、人に見せてその幸せを共有するのです。「作って、観せる」陰陽のようにどちらが欠けても成り立たないものなのです。社会は1人では成り立たないと言うことと同時に、1人では決して幸せにはならないと思います。
1971年 パントマイム、レストラン「Jūras Pērle」
でのソロパフォーマンス1984年 第43高等学校で子供たちに
パントマイムと道化を教えていた頃
ラトビア初の合気道センター「BUSHIDO(武士道)」設立
パントマイムと同時にブシギンさんは1972年から空手も始めました。その後、1985年には、サンクトペテルブルクでソビエト連邦初の合気道セミナーが行われ、ソビエト連邦のさまざまな地域からセミナーに集まる中で、ラトビアの代表として参加しました。毎年サンクトペテルブルクで「白夜」という合気道のフェスティバルがあり、そこで日本の北浦先生、田村先生、山田先生が日本から来て合気道を教えてくれました。ブシギンさんは、田村先生に合気道を習い、段位は2段を取得しました。
ブシギンさんは、1991年BUSHIDO(武士道)という名前の合気道クラブをリガで初めて設立しました。BUSHIDOでは大人から子供まで、さまざまな人々に身体経由で強い心を育てていくという武道の心理学を伝えました。「気の流れを育てていくこと」と合気道では言います。これはとても重要なことで、人生が終わるまで必要なトレーニングだと思っています。
ロシア語で、「平和を好むなら、戦争の準備をする」ということわざがあります。
1991年 リガで初めての合気道クラス
「ヒューマンムーブメントカルチャーセンター(Cilvēka Kustības Kultūras Centrs)」での指導
ブシギンさんの子供のころの夢は道化師のピエロになることでした。道化師は帽子をかぶって赤い鼻をつけて人を笑わせている役柄です。1975年にブシギンさんはモスクワのサーカスにて道化師の芸を習っていました。その後、リガのサーカスで若者と子供のクラスを指導し、多くのサーカスのフェスティバルに参加してきました。
2007年から設立した「ヒューマンムーブメントカルチャーセンター(Cilvēka Kustības Kultūras Centrs)」では道化師(ピエロ)、合気道、パントマイム、中国の武術を教えています。
そして、2009年には自叙伝「合気道で強靭に、パントマイムで幸福になった」を出版しました。2014年にはブシギンさんの65歳の誕生日記念にリガのサーカスで「道化師の65回目の春」というショーを開催し、生徒や仲間と一緒に演じました。
2007年 合気道の稽古 2008年 合気道のパフォーマンス
「合気道で強靭に、パントマイムで幸福になった」
1991年 宣伝用写真 2017年 リガの旧市街、道化師のフェスティバル
「クラウンパラダイス2017」
ブシギンさん65歳の誕生日に開催したショー
現在ブシギンさんは妻がいて、子供が4人、孫は3人に囲まれ、人生はとても豊かです。
コロナ前の5年間は、リガインターナショナルバルティックアカデミー(Baltijas Starptautiskā Akadēmija)という、世界中の留学生が来る学校で、身体の表現力を教えるコースの教壇に立っていました。コロナでロックダウンされているので、学校も閉鎖され今は稽古ができていません。
家族と心を大事にする生活
今の楽しみは、孫たちと時間を過ごすことです。そして仕事ができるまで現役で続けることです。ドイツで作ってもらった畳を敷き、刀(居合刀)を抱いて寝ています。
ブシギンさんは日本の文化が非常に好きなため、日本語を学びながら能や歌舞伎も勉強していました。若いころに「SAMURAI」と言うショーを考え、手作りの刀や衣装を作って演じました。
旅行も好きで、これまでにドイツやフランス、アメリカを訪れました。パリのモンマルトルやニューヨークのタイムスクウェアで道化師・マイムとして演じていました。現在はコロナ禍ということもあり、日本語や漢字の勉強を熱心に続けています。ずっと前から日本に行くことという夢を持ち、身体の表現力やシアター、合気道、舞踏のプロとコラボレーションをしたいと思っています。
4人の子供と孫 2人の娘
なるべく笑顔でいよう
ロシア人で有名な道化師だった故オレグ・ポポフの言葉で「ピエロは笑っている時、ピエロと一緒に全世界が笑っている。ピエロが泣いているのは1人で泣いている」日本では似ている言葉で、「顔で笑って心で泣く」と言う言葉があります。ブシギンさんはその言葉をいつも胸に置いています。心の中にあることは大事にしてほしいです。
大事なのは、なるべくいっぱい笑顔を出してほしいと思います。笑顔は皆さんの力になります。皆さんの幸福に国境はなく無限大に広がるものです。
2012年 ケンブリッジ、ハーバード大学の庭 2012年 NYタイムズスクエア
ラトビアで、ブシギンさんに直接指導を受けたい方は、ブシギンさんのメールアドレスから直接お問い合わせください。(英語、ロシア語、ラトビア語可)
ブシギンさんのFacebook
ブシギンさんのメールアドレス vikbus04(アットマーク)gmail.com
通訳:Dana Antipova